黄色いひな菊のようなAさんと過ごした日々
講師が介護の現場で出会ったAさんは、身長140cmほどの小柄な女性でした。
認知症の専門棟での勤務初日に出会ったその方は、まるで黄色いひな菊のように小さく可憐で、けれどもとても強くて優しい人でした。
Aさんは毎朝4時すぎに起き、押し車をガチャガチャと音を立てながら食堂に向かいます。
耳が遠いため自分ではその音に気づかず、静かな早朝にその音が響き渡ることもありましたが、いつも「おはようさん」と笑顔で挨拶を欠かさず、人への感謝の言葉を忘れない方でした。
そんなAさんは、職員が何かひとつしても「ありがとさん」と伝えてくれる。
まっすぐな人柄で、自分のペースを大切にしながらも、他者への敬意を失わない姿に、新人だった講師も多くを学びました。
時には入浴の支援を拒み、大声で「やめていらん!」と叫ぶこともありましたが、その後しゅんと反省した表情を見せて「ごめんよう」とつぶやく。
そんな誠実な姿に、「年を重ねて、認知症になっても、こんなふうに人としての品格を失わないなんてすごい」と心を打たれたといいます。
しかし、12年後。
再びAさんに会いに行ったとき、そこにいたのはまるで別人のような姿でした。
声も出さず、目も合わせず――あの日の再会
詰所の横にある小さな椅子に、Aさんはただ腕を組んで座っていました。
肩も目も口元も固く閉ざし、話しかけることもできないほどの緊張感をまとって。
「Aさん」と名を呼ぶことも、手を触れることもできず、ただ30cmほど近づいただけで、Aさんはポツリと「うる…」と声を絞り出しました。
以前のような力強さや明るさはなく、まるで「もう近づかないで」と言うような、切ないほどに痛々しい表情。
「引きこもり」という言葉がそのまま当てはまるような状態でした。
介護職として10年以上の経験を積んできた自負がありながら、何もできなかった自分に打ちのめされた――講師はそう語ります。
認知症と“引きこもり”の先にある問い
Aさんのような人が、なぜここまで心を閉ざしてしまったのか。
講師はその理由を、ただ認知症の進行だけではなく、介護体制の限界や薬への依存、関わりの減少など、いくつもの要因が絡み合った結果と感じました。
入浴やケアへの抵抗が強くなると、現場では「どうしたらスムーズにケアできるか」に焦点が移りがちで、結果として薬の使用も増えてしまう現実。
「効率化」や「安全性」の名のもとに、“関わる力”が失われていく過程があったのかもしれない――と。
それでも講師の心には、黄色いひな菊のように笑っていたあの頃のAさんの姿が今も残っています。
そして思うのです。
「関わりを拒むように見える方にも、私たちができることはきっとある」と。
いま私たちができること
認知症になった高齢者が、ただ「記憶をなくしていく人」ではなく、「人との関わりを失っていく人」だとしたら。
私たちはその“関係性”の中に希望を見出せるのではないか。引きこもる前にできること。
引きこもったあとでも、そっと寄り添う工夫。そんな「関わる力」をもう一度見直す機会にしたい。
本動画は、一人の高齢者と一人の介護職の12年間の軌跡から、介護の原点を問い直す実話に基づくメッセージです。
【動画】
【情報提供元】
日本通所ケア研究大会
https://tsuusho.com/conference/
【お役立ち研修】