
知見と実践の間で、組織にできること
近年、認知症ケアをめぐる知見は大きく進歩している。
BPSD(行動・心理症状)についても、原因や対応方法が整理され、感覚や経験だけに頼らない、科学的根拠に基づくケアが数多く示されるようになった。
しかし一方で、実際の介護現場では、その知見が十分に活かされているとは言い難いのが現状ではないだろうか。
「うまくいく人」と「うまくいかない人」の差は、才能なのか⁉
認知症の人との関わりにおいて、なぜか自然とうまく関係を築ける職員がいる一方で、どれだけ努力しても拒否されたり、叩かれたり、無視されたりする職員もいる。
それは「向き・不向き」や「才能」の問題なのだろうか。
現場を見ていると、そう単純ではないことが分かる。
多くの場合、
・十分な学びの機会がない
・試行錯誤する余裕がない
・周囲と振り返る時間が取れない
といった環境要因が、対応力の差を生んでいる。
医療と介護のはざまで置き去りにされる認知症の人
認知症があり、BPSDへの対応が難しいという理由だけで、入院を断られたり、十分な医療が受けられなかったりするケースは、今も少なくない。
「治療の意識がないから」という理由で治療を拒まれ、結果として、治療すれば改善する可能性のあるBPSDが放置される。
チューブを抜いてしまうからと退院を迫られ、あるいは身体拘束が選択されてしまう。
介護現場では、声かけを工夫し、注意をそらし、環境を整え、「拘束しない」ための試行錯誤を日常的に行っている。
では、この違いはどこから生まれるのか。
医療と介護の役割分担、理解の断絶は、今なお大きな課題である。
広がり続ける役割と、削られていく余白
介護の現場に求められる役割は、年々広がっている。
その一方で、現場には
・慢性的な人手不足
・「3大介護、4大介助=介護の仕事」という認識が蔓延している介護現場の日常
・学び合う時間や仲間を持ちにくい環境
がある。
心身ともに疲弊した状態で、認知症の人に丁寧に向き合えるはずがない。
バーンアウト寸前で踏みとどまっている人、あるいは、どこか冷めた視線で介護を続けている人もいるだろう。
「湿ったマッチのように、燃えきらない現場」
そんな感覚を覚える事業所は、決して少数ではない。
人が燃え続ける現場に必要なもの
こうした状況の中でも、主体的に仕事をつくり、意見を出し合い、挑戦できる現場がある。
・自分が参画しているという実感
・意見を言っても否定されない空気
・「まずやってみろ」と背中を押す上司の存在
こうした環境が、職員のモチベーションを支え、結果として認知症ケアの質を底上げしていく。
認知症ケアは、個人の力量だけに任せるものではない。
人が学び、試し、振り返り続けられる組織をどうつくるか。
それこそが、介護従事者にとっても、事業者にとっても、今あらためて問われている課題ではないだろうか。
【お役立ち研修】














